「基準は人それぞれ」

川崎校の様子

こんにちは。川崎校の大石です。

少し前に処理水の海洋放出についてのニュースが多く取り上げられていました。
ここでいう処理水とは福島第一原発事故で生まれた放射性物質を含む水を適切な方法で処理し、安全基準を満たした水のことです。

安全とはいえ、海洋放出に反対する声が多くありました。
実際、海洋放出にあたり、中国では日本産の水産物の輸入を禁止する措置が取られるなど、各方面で問題が生じています。

ここで疑問が生じます。
問題となっている安全とはどう示されるべきなのでしょうか。

安全は言葉として、あるいは数値としてデータで示されますが、それぞれ功罪が存在します。
言葉で安全を説明する場合、難しい説明なしで情に訴えかけることができると思います。
ただし、多くの対象を説得することは困難なことが予想されます。

当然のことながら何をもって安全とするかは場合によります。
包丁を扱う際の危険性に対する安全は言葉が適するでしょう。

一方で、データで説明する場合、難しい知識を有している必要があるかもしれません。
先程取り上げた処理水については放射性物質やその一部であるトリチウムという物質について理解する必要があります。何がどれくらい含まれていると危険なのか数値では理解しやすいかもしれませんが、より知識を有する人に丸め込まれてしまう可能性があります。

言葉だけで説明することと、数値などのデータだけで説明することは多くの場合、困難でしょう。
必要に応じて併用することが大切です。
言葉だけが感情的とすればデータの場合、理性的ですね。

実体験をもとにすると人によって感情的か、理性的か偏っていることは多いですが、使い分けられると良いと感じます。
どのような時に感情的であるべきか、理性的であるべきかは、それぞれの基準を設けるべきですが、うまくかみ合わないと衝突が起こりえます。

多くの人の意見を傾けることは可能だとしても、総意を得ることは難しいです。
最善を尽くした結果であれば、過度に気にする必要はないでしょう。
それがどんなことであっても・・・。

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