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教室News

『西洋の敗北』が問いかけるもの―エマニュエル・トッドを読む

横浜校の校舎ブログ、5月を担当します、ナカムラです。

今回は、現在大注目の書籍、エマニュエル・トッド『西洋の敗北 日本と世界に何が起きるのか』を取り上げます。

エマニュエル・トッドとは

Emmanuel Todd氏は1951年生まれ、フランスの歴史学者、人類学者です。国・地域ごとの人口や家族システムに注目した研究を行っています。

1976年の処女作『最後の転落』では、乳児死亡率の異常な増加という指標からソ連崩壊を予言し、2002年の『帝国以後(After the Empire)』では、イラク戦争に向かうブッシュ政権の危うさを指摘しました。いずれも刊行時点では懐疑的に受け止められながら、後年その慧眼が評価されてきた著作です。

トッド氏は、2003年からのイラク戦争、そして2022年からのウクライナ戦争についても、あまりに不必要なものであったと指摘しています。

『西洋の敗北』というタイトルに込められた、2つの意味

『西洋の敗北』というタイトルには、2つの意味が込められていると言われます。

一つ目は、ウクライナ戦争における「敗北」です。

2022年から始まったウクライナ戦争は、実質的にアメリカ・ヨーロッパ諸国(NATO)とロシアの戦争でした。トッド氏は、この戦争において西側がロシアに敗れたと主張しています。2025年5月現在、正式な停戦合意には至っていませんが、トッド氏はすでに勝敗の帰趨は見えていると論じています。ただし、この評価はトッド氏自身の分析であり、国際社会全体で見解が一致しているわけではないことは、あらかじめ申し添えておきます。

二つ目は、19世紀の産業革命以後、約200年にわたって世界を主導してきた「西洋文明」そのものの崩壊です。

トッド氏は「西洋」を、狭義には自由主義的・民主主義的革命を成し遂げた国、すなわちイギリス・アメリカ・フランスに限定しています。1688年のイギリス名誉革命、1776年のアメリカ独立、1789年のフランス革命が、この「自由主義西洋」誕生のきっかけとなった出来事だとトッド氏は位置づけています。広義には、これに北欧諸国・西ヨーロッパ諸国、そして現在民主制を採る東ヨーロッパ諸国までを含めて「西洋」と呼んでいます。

なぜ「西洋」の文明は崩壊していると、トッド氏は言うのか

これら3つの革命は、啓蒙思想(Enlightenment)、いわば「理性崇拝主義」の強い影響を受けました。特に1789年のフランス革命は、理性崇拝によって神を叩き壊した最初の出来事だとされ、その後、理性崇拝は唯物論へと向かっていったとトッド氏は論じます。

トッド氏の見立てでは、現在の西洋社会は、この理性崇拝・唯物論の行き着いた先として、深く物事を考える力を失い、理念なきニヒリズムに陥っているといいます。象徴的な価値観として、

  • 自分の影響力の最大化
  • 自分の利益の最大化
  • 自分の楽しみの最大化

を挙げ、これを実現できた「勝ち組」と、そうでない人々との間に、断絶と優越感・軽蔑感が生まれていると指摘します。興味深いことに、1960年以降、大学進学率が上昇するにつれて西洋社会全体の知的水準はむしろ低下したとも、トッド氏は論じています。

そして、この「西洋の敗北」の最大の要因として、トッド氏はキリスト教的価値観の喪失を挙げています。宗教という、自分自身を超えた「理想」を人々が共有していたからこそ、日々それに近づこうと反省し、努力し、工夫する営みが社会に根づいていた。その基盤が失われたことが、文明の空洞化につながった、というのがトッド氏の議論の骨子です。

もちろん、これはトッド氏一人の歴史観・文明観であり、西洋の凋落の原因を宗教の喪失にのみ求める見方に対しては、当然ながら異なる立場や反論も存在します。一つの有力な視点として読むのがよいと思います。

日本にとっての問いかけ

ここまで読み進めると、「では、日本はどうだろうか」と考えずにはいられません。

トッド氏の議論を借りるなら、問われているのは、私たち自身が「自分の利益・影響力・楽しみの最大化」を超えたところに、何か拠り所となる「理想」を持てているか、ということかもしれません。それは特定の宗教である必要はなく、家族や共同体、あるいは学び続けること自体への信頼といった形でも、十分に成り立ちうるものだと思います。

自ら考え、自ら学ぶ。この姿勢を失わないことが、トッド氏の指摘する「西洋の敗北」を、単なる対岸の火事としてではなく、自分たちの社会を見つめ直すきっかけとして活かす一歩になるのではないでしょうか。

なお、トッド氏は2025年にも続編にあたる『西洋の敗北と日本の選択』(文春新書)を上梓しており、日本の進むべき道について、より踏み込んだ考察を行っています。あわせて手に取ってみると、理解がさらに深まると思います。

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